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長野県


松代大本営跡

  
  松代大本営坑道入口

 

    
      坑道内部

 

  
     枕木跡                 測点跡

梅雨の季節のちょっとした晴れ間のある日にに松代を訪れました。まず松代の街の説明を致しましょう。
松代は真田十勇士で有名な真田家がおさめていた土地で、現在は長野市の郊外に位置する穏やかな土地です。
江戸末期には佐久間象山らを輩出し、当時の藩校の跡も残る歴史の街でもあります。
街を歩くと古の香りと、どことなく街中に何とも言えぬ誇りが感じられました。
藩校は、江戸時代各藩が設置し、全国に300有余を数えたそうです。当時の松代藩の力で150年経ってもなお
びくともしない立派な木造校舎を建設し子弟の教育に立ち向かっていた時代背景を考えると、なんと教育に情熱を
注いでいたのかと身の引き締まる思いを感じました。
名実ともに、地域の教育に対する真摯な態度が、今に残る藩校にたたずむと空気から伝わってきます。
また多彩な個性を発揮した「池田満寿夫美術館」も駅のそばにあります。

松代大本営跡、駅から徒歩20分ほどの所の田園の山腹にその入口があります。
戦争末期、連日の東京への空襲に戦争遂行能力を奪われることをおそれた軍部が、極秘裏に進めた大本営の
移転計画の遺跡です。
頑強な岩盤をくりぬき、そこに軍の主要組織を移転、ひいては天皇も含めた移転計画でした。
理由は、ボランティアの方が坑道を進み進み、説明をしてくださいます。
空襲の被害を受けないような防衛能力に優れた地勢であること。
海岸線から遠く、本土決戦のあかつきにも連合軍の到達に時間がかかること・・・・
などです。
天皇の移転計画に当たっては、当該土地が神に関係する地名も点在し縁起も良い。との話もありました。

それにしても、、、、です。
全長10Kmあまり。この地にこのような移転計画を実施に移す軍首脳の戦争遂行理由は一体どのようなものだったの
でしょうか。この地に首脳を移転して、その時点での戦闘状態というのは、非常に悲観的にならざるを得ません。
そうまでして、、、、との思いが募られます。

現在、公開されている部分は約2km。その彼処に坑道を掘り進めた人々の苦節が見て取れます。
工事が開始されたのが、昭和19年の初冬。そして終戦のその時まで日夜作業が進められました。
長野の地での冬の作業はいかばかりの事でしょうか。
そしてその作業に従事したのは、朝鮮半島から強制的に連れてこられた方々だったと説明にあります。

今、松代大本営跡は、先の戦争における多くの問題点を提示してきます。
大本営の戦争遂行意志は、どういう考えに立脚していたのか。その時の一般人民に対する考えはどうだったのか。
そして、強制労働の実態。

対外的な戦後補償(民意も含めて)のあり方など、考えさせられる内容が多々あります。

松代大本営跡は、戦争遺跡の保存運動でも中心的な役割を担ってきました。
その強い説得力と歴史的意義が、今後より重みを持つものと確信しています。